「奇跡のりんご」木村秋則さんのストーリー
青森県で、長年リンゴ農家を営んできた木村秋則さん。農薬をまくたびに寝込む妻を見て、無農薬りんごの栽培に取り組みはじめました。木村さんが28歳のときでした。
これまで「りんごは農薬で育てる」というのが常識でした。実や枝からしずくがぽたぽた滴り落ちるほどの農薬をまかなければ、害虫や病気にやられてしまうと思われてきたのです。
木村さんの試みは、はじめこそうまくいきそうでした。しかしすべての畑を無農薬に切り替えた翌年から約11年に及ぶ苦闘は始まります。酢やわさびなど、農薬の代わりになるものを試す日々。それは地獄への一直線。想像を絶する茨の道でした。
次々と枯れるリンゴの木、害虫はその重みで枝がしなるほどに大発生。年を追うごとに畑は荒れていきました。蓄えも底をつき、借金はふくらみ、文字通り貧乏のどん底に。近所の人には無視をされ友人も次々と去って行きました。
苦しい日々の中、木村さんは「堪忍してくれ」という一心でりんごに声をかけ続けました。やることなすことうまくいかず、枯葉を前に頭を抱え込む日々。万策つきた木村さんはある満月の夜、全てを終わりにするために、岩木山へ向かいました。枝に向かって一本のロープを放り投げたその先に見えたものは、一本のりんごの木でした。
「誰が農薬をまいているのだろう」木村さんは思わず木に駆け寄ります。するとそれはリンゴではなくドングリの木でした。農薬も肥料もないのに豊かな葉が茂っていたのです。足元はふかふか。山の土は柔らかくて湿っていて、香ばしいような懐かしいような独特の香りがしました。
「この土を作ればいいんだ!」探し続けてきた答えがそこにはありました。ひざまずいて土を握りしめ、死のうとしていたことなど忘れて夢中で山を駆け下りました。「自分は枝や葉など目に見えるところばかりに気を取られ、肝心の根っこや土のことをすっかり忘れていたのだ!」と。
岩木山での夜以降、木村さんは雑草を刈るのをやめました。そして自然の摂理に沿った方法で畑の土を蘇らせていきました。
次の夏、畑はまるでジャングルのようになりました。兎や鼠が走り回り、カエルが害虫を食べ、ミミズが畑の土を肥やしていきました。
そして翌年の春、りんごの木はついにピンポン球ほどの小さな実を二つ実らせたのでした。あくる年、隣の畑のご主人が声をかけてきました。「おい、な(お前)の畑に花が咲いでらぞ」と。
木村さんが恐る恐る覗いてみると……そこには満開の白いリンゴの花がありました。それはどんな花よりも美しい花、かけがえのない花、何年も夢に見てきた光景でした。
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